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こまきのブログです。

好きな本紹介①〜「国境の南、太陽の西」(村上春樹)

komaki-13252005-07-01

7月始まりましたねー。
今日の神戸は、久しぶりの雨です。
(「音の雫」聴かなきゃ!/笑)


さて、私の愛知万博レポはまだもう少し続くのですが、
レポの合間に今日は好きな本の紹介を。


5月5日の日記(http://d.hatena.ne.jp/komaki-1325/20050505
でも紹介しましたが、
私のいちばん好きな作家は村上春樹さんです。


私が初めて読んだ春樹さんの小説は、
たぶん『風の歌を聴け』だったと思います。
(素敵なタイトルですよね)


そしてその次に読んだのが、この『国境の南、太陽の西』です。
私はこの本を読んでから、
春樹さん中毒への道まっしぐら!になったような気がします。
この本を読んで、「もっとたくさんこの人の本を読みたい!」と
強く思ったんですね。


国境の南、太陽の西』は、春樹さんファンの中では
それほど評価の高い作品ではないと思うし、
作品としての完成度がどうなのか、という事もよく分からないけど、
でもたとえ不完全な作品だろうが何だろうが
そんな事はどうでも良くて、
私はこの作品の中にある何かに、
否応なしにぐいぐいと強く惹かれるのです。


愛知万博に行く少し前ぐらいから、
この本を久しぶりに少しずつ読み返していて、先日読み終えました。
やっぱり以前と変わらず、ものすごく吸引力のある本でした。
自分にとって。


この小説の主人公である「始(はじめ)」の感情に、
私はもう、ものすごく強く共感してしまうんです。


なんかもう、始っていうのは、私自身の姿なんじゃないかと思うぐらい
それぐらい強く共感してしまいます。
読んでて「これは、私だ」と思うんですね。上手く言えないけど。
始と同じ行動を取った事がある、とかそういうわけじゃないんだけど、
でも彼の心理状況っていうのは、何だかすごくよく分かるんです。


どこまで行っても消える事のない孤独な気持ちとか、
「自分は人間として決定的な欠陥を抱えている」という感情とか、
誰かの事を、狂おしいほどに大切に想う気持ちとか・・・
他にもいろいろ。
始の抱えている思いに、とても共感してしまいます。
「そうなの、私もそういう人間なの。すごく分かるよ、その気持ち。」と
私はずっと始に語りかけながら、この本を読んでいたような気がします。


この小説を読んでいて、最も強く共感したのは、次の部分です。
引用して載せてみます。
始が、自分という人間の欠陥について語るシーンです。


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『その体験から僕が体得したのは、
たったひとつの基本的な事実でしかなかった。
それは、僕という人間が
究極的には悪をなし得る人間であるという事実だった。
僕は誰かに対して悪をなそうと考えたようなことは一度もなかった。
でも動機や思いがどうであれ、
僕は必要に応じて身勝手になり、残酷になる事ができた。
僕は本当に大事にしなくてはいけないはずの相手さえも、
もっともらしい理由をつけてとりかえしがつかないくらい
決定的に傷つけてしまうことのできる人間だった。』


村上春樹国境の南、太陽の西」より)


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この、始と似たような気持ちを、
私も自分の中にいつも持っています。


始ほど深刻ではないにしても、
でも、私が、私という人間に対して感じる自分の欠陥と、
始が感じている自分自身の欠陥は、
重なる部分が大きいように思います。


私は、今の職場に来てから、自分なりにいろいろきつい経験をして、
そのきつい経験があって、かえって
人の気持ちとか愛とか、そういうのを大切にして生きて行きたいと、
このごろ特にすごく強く思うようになったんだけど、
でもその一方で、自分の中には「ものすごく身勝手な自分」が
いるのを、自分でよく知っています。


「人を大切にしたい」と思っているくせに、
でも何だか最終的には私の中には、
「人よりも自分の事がいちばん大事」な自分がいるような気がします。


時々自分の中に、そういう「身勝手な自分」の姿を
ものすごくくっきりと見る事があって、
そういう時、自分で自分にぞっとするというか、絶望してしまいます。
私ってなんて酷い人間なんだろうと思う。


きっとその身勝手さで、知らないうちに
周りの人に嫌な思いをさせたり、傷つけたりして来たような事が、
あるんじゃないかと思います。


だから、この小説を読みながら、始の気持ちに共感するたびに、
それと同時に、私自身の「人としての欠陥」みたいなものが
くっきりと浮かび上がってくるような、
あぶり出されるような感じも受けて、
読んでて辛くもありました。参りました。



きっと小説の主人公である始の抱えている苦悩は、
作者の春樹さん自身が抱えている苦悩であるとも思います。


だから、読んでて辛かったけど、同時に嬉しくもあったんです。
「こういう思いを抱えているのは、私だけじゃないんだ。
私と同じ思いを抱えている人が、ここにもいる。」
とそういう風に感じて。


それはどこか、ほっとする感触です。
春樹さんという人に対して、
ひとりの人間として、非常に親近感を覚えてしまいます。


春樹さんのどの作品を読んでいても、
「自分はこういう欠陥を抱えた人間なんだ。これが自分なんだ。
だけど自分は、その欠陥を埋める努力(あるいは新しく何かを生み出す努力)を、
誠心誠意、したいんだ。」
という春樹さんの真摯な思いを感じます。


春樹さんの文章には嘘がないなぁ、と感じます。
本当に、本当の気持ちを書いているんだと思います、いつも。
春樹さんの文章から伝わってくる、その
「ほんとうな感じ」が、私はとても好きなんです。
それは理屈では説明できなくて、
読んでいて私が心で感じる事です。



春樹さんの小説を読んでいると、
自分の感情が、根っこのすごく深いところから
強く激しく揺さぶられるのを感じます。


春樹さんの小説を読んでいる時、
海の底を見つめるようにして、
自分の心の奥底をじっと見つめている自分がいるのを感じます。
春樹さんの小説を読んでいると、
自然とそういう作業をしてしまうんですね。


春樹さんの小説を読んでいると、
今回のように、読んでてとてもつらい苦しい気持ちになる時もあるし、
逆に、春樹さんの温かい気持ちと自分の気持ちが
寸分の狂いもなくぴったりと重なって、
とても幸せな気持ちになる時もあります。


春樹さんの文章から伝わってくる温かさ、
それもとても「ほんとう」な感じがします。
そこも読んでいて、とても共感する部分です。



春樹さんの文章には、とても素敵な比喩表現がたくさん出てきます。
私は本を読んでいて、自分の心に深く響く部分があると、
そのページの右上か左上の端を、ちいさく斜めに折って、
しるしをつけるクセがあるんですが、
国境の南、太陽の西」も、そんな風にして読んでいたら、
ほとんど1ページおきに折り目がついちゃうような、
そんな状態になってしまいました。
素敵な比喩表現オンパレードな本です。


国境の南、太陽の西」で、私がいちばん好きだった比喩表現を
引用してみますね。


主人公である始が、自分が恋焦がれる女性、
「島本さん」について述べているシーンです。


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『僕は島本さんと会わなくなってしまってからも、
彼女の事をいつも懐かしく思い出しつづけていた。
思春期という混乱に満ちた切ない期間を通じて、
僕は何度もその温かい記憶によって励まされ、癒される事になった。
そして僕は長いあいだ、彼女に対して
僕の心の中の特別な部分をあけていたように思う。
まるでレストランのいちばん奥の静かな席に、
そっと予約済の札を立てておくように、
僕はその部分だけを彼女のために残しておいたのだ。
島本さんと会うことはもう二度とあるまいと
思っていたにもかかわらず。』


(村上春樹国境の南、太陽の西」より)


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「僕は長いあいだ、彼女に対して
僕の心の中の特別な部分をあけていたように思う。
まるでレストランのいちばん奥の静かな席に、
そっと予約済の札を立てておくように」


・・・綺麗な文章ですねえ。
そしてとても、あたたかい。
こういう、あたたかでひっそりとした、大切な想いって、いいですよね。
春樹さんのこういう文章が、私は大好きです。
何度も繰り返して読みたくなってしまいます。


音楽を聴くときの、
自分の好きなメロディーを
何度も繰り返して聴く時の幸せな気持ちと、
本を読む時の、
自分の好きな文章を何度も繰り返して読む時の
幸せな気持ちっていうのは、
自分の中でとても近いものがあります。


梶原さんのギターを何度も何度も繰り返して
大切に聴くのと同じように、
私は春樹さんの文章を、何度も何度も繰り返して
大切に読むんだと思います。
どちらも私の心を深く強く揺さぶり、
時に切なく、時にとても幸せな気持ちにさせてくれるものです。
どちらも、自分にとってとてもかけがえのない、大切なものです。



国境の南、太陽の西』は、講談社から文庫も出ています。
ご興味を持たれた方は、ぜひ読んでみて下さいね。