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こまきのブログです。

神戸文学館「灰谷健次郎展」

komaki-13252010-09-20

今日は、神戸文学館での「灰谷健次郎展」にいってきました。


久しぶりに、長くてクサい(かもしれない)文章を書きます。
許してください。
なんてったって、灰谷健次郎さんですから。。



灰谷健次郎さんが亡くなって3年半になります。
今回の企画展では灰谷さんの18歳から亡くなるまでの自筆原稿を
兎の眼」「太陽の子」などよく知られた作品だけでなく、
詩、児童文学作品、エッセイなど、
各分野にわたって、あまり知られていないものも含めて展示します。
写真もたくさん提出して見てもらうことが出来ます。
資料が豊富なため、前期・後期で内容の一部を入替えます。


(神戸文学館「灰谷健次郎展」チラシより)


灰谷さんは、私がまだ村上春樹さんに出会う前に、
最も熱くのめりこんでいた作家です。
(神戸出身の作家です。)


大学時代とか、灰谷さんの本を本当によく読みましたね。
私のこころの、からだの一部になっています。




灰谷さんは2006年11月に、食道がんのため亡くなられました。
72歳でした。


灰谷さんが亡くなって約3年半が経ちました。
ネットでこの神戸文学館での「灰谷健次郎展」の事を知って、「絶対行かなきゃ」と思いました。


で、今日行ったわけですが・・


駅から歩いて神戸文学館に向かう途中、私はなんだか複雑な気持ちでした。


「これを見に行ったら、灰谷さんがこの世にはもうおらへん事を、認めなあかん・・・」
ってばりばり関西弁ですが、こころの中でずっとこの言葉を繰り返していました。


そんな感じでとぼとぼとぼ、と歩いて行って。


着いた神戸文学館。





わ〜・・・、なんだかレトロで素敵な建物!!
低かったテンションが上がりはじめます。










神戸文学館入口の扉。
雰囲気ありまくりです。


ドアの取っ手(?)に手をかけて、ドアを開けます。
「がちゃり」という確かな音、確かな感触。



そして入った神戸文学館。
不思議な空間でした。。


ひとことで言っちゃうと「レトロ」そのものなんだけど。。


今の時間の流れからは取り残されて、
この場所だけ昔のままの姿で、空間ごと別の場所にそっと大事に保管されていたような。。


そんな空間です。



歩くと自分の靴音が、しんとした空間に こつこつこつ、と響きます。


それほど広いスペースではありませんが、
灰谷さんの自筆原稿や写真など、貴重な資料が展示されていました。


灰谷さんの自筆原稿、初めて見ました。
まるみのある、あたたかみのある、インクの手書き文字。
「天の瞳」の自筆原稿を見れたのには感動しました。
こんな最近の作品も、パソコンではなく手書きで書かれていたんですね。



灰谷さんは、小学校の教員生活を経た後、作家になり、
子どもを主人公とした作品を多く残しました。


そんな灰谷さんの「授業」のビデオ上映も見る事ができました。
教師の現役時代でなく、作家になってからの灰谷さんの授業でしたが。
(テレビ番組か何かの企画だったのかな?)


「考える」ことと、「優しさ」についての灰谷さんの授業。。
灰谷さんは子どもたちに問いかけます。


「『勉強』ってどういうこと??」


「知る、おぼえるという事ですね。
では、その『知る』と『おぼえる』の間には、何がありますか?」


灰谷さんが黒板にチョークで、「知る」と「おぼえる」の間に書き込んだ言葉は、
「考える」でした。


「同じものを知るのでも、おぼえるのでも、
そこでどれだけ『考える』かで内容が違ってきます。
そして『考える』にも二通りあります。
考えて答えがはっきり見つかるものと、答えが見つからないものがある。
考えれば考えるほど、かえってわからなくなるものもある・・・」


灰谷さんの問いかけは続きます。


「人間の赤ちゃんを可愛がるのと、犬の赤ちゃんを可愛がるのでは、違いますか?一緒ですか?」


子どもたちのほとんどが「違う」と答えます。
灰谷さんはさらに問いかけます。
「なぜ違うの?」と・・・


私も「違う」派でした。
で、なぜ「違う」と思うのかを考えてみると・・
自分の中のいろんな矛盾点に、気づいたりしますね。。
普段自分が「こうあるべき」と考えている事と、
実際に自分の中にあるものは、違うじゃないか、と。。



灰谷さんの授業は続きます。


「優しさにはいろんな『ようす』があります。
優しさに触れると、人は気持ちよくなる。
でも厳しい優しさもある。
その優しさのいろんな『ようす』を丁寧に考える事が大事。」


灰谷さんは、黒板に写真をはり出していきます。


知的障害を持つTくんと、その周りの子どもたち。


野外学習で岩場を渡る場面になった時、
障害を持つTくんに対して、最初そばの子どもは手をつないで
Tくんが渡るのを助けようとします。


でもやがて、そばにいる子どもは気づきます。
「このままではTくんの為にならない。
このままではTくんが『自分で』できるようにならない。」と。


そして子どもはTくんを助ける方法を変えます。
直接手をつないで助けるのではなく、手はつながずに、
そばで「見守って」いる事で、Tくんを応援するのです。


そしてTくんは、自分の力で岩場を渡りきります。


灰谷さんは、次の写真をはり出します。


岩場を渡りきったTくんの、素敵な笑顔。
後ろにいる、Tくんを応援していた子どもたちも、やっぱり素敵な笑顔。


灰谷さんはこの写真を見せて、授業を受けている子どもたちに問います。
「岩場を渡る前のTくんと、岩場を渡った後のTくんの顔は、一緒ですか」と。


子どもたちは一斉に「違う」と答えます。


「どういう風に違う?」と問いかけた灰谷さんに、ある子どもが答えます。


「岩場を渡る前のTくんは怯えていたけれど、
渡り終わった後のTくんの中からは、怯えが消えてるというか・・」


灰谷さんは話します。
「そうだね、消えた、とうよりは、乗り越えた、のかもしれないね。」


灰谷さんは続けます。
「そうですね。Tくんは変わりましたね。
友だちの優しさとTくんの勇気で、Tくんは変わりました。
優しさは人を変えます。
Tくんを応援した子どもたちの表情も変わっていますね。
優しさを与えた側も変わります。」


灰谷さんはまた別の写真を黒板にはります。


いわゆる「問題児」と言われていたHくんの写真。
授業中、土足を机の上にあげ、額にはけんかの傷。
眼はきつく鋭く、表情もすさんでいます。


すぐに暴力をふるうHくんは、友だちをなくしてひとりぼっちになりました。
でもTくんだけが、Hくんに対してずっと「遊ぼう」と誘いかけてきたそうです。


やがてHくんは変わり始めました。
障害を持つTくんの手助けをするようになりました。


そんな風にTくんと「共に生きる」Hくんの様子を映した写真が、
続けて何枚か黒板にはり出されます。


灰谷さんがラストに見せてくれた写真には・・
そこにはHくんと、もうひとりの友だちに囲まれて、
本当に幸せそうなあたたかい顔で笑うTくんの顔がありました。
Hくんも本当に柔らかい優しい笑顔をしています。
最初の写真の、すさんでいた彼とは全く別人のようです。


灰谷さんは続けます。
「『育つ』というのは、『変わる』という事です。
『良く』変わる、という事です。
優しくされた人間も、相手に優しくした人間も、両方変わったのです。。」


灰谷さんは黒板から写真を外していきました。


すると黒板には、最初に灰谷さんがチョークで書いた文字だけが残りました。


灰谷さんはこう結びました。
「この黒板に残った文字を見て考えながら、今日の授業を終わりましょう。」


黒板に残った文字は、
「勉強」
「知る」
「おぼえる」
「かんがえる」
「優しさ」
「ようす」
「きびしい」



・・・
ああ、やっぱり灰谷さんだなあ、と思いました。
ビデオを見ていた私の目には、ぷっくり涙。
本当にこの人は私を何回泣かせれば気が済むのか、と思います。



今回灰谷健次郎展で展示されていた資料の中で、
私のこころに残った灰谷さんの言葉。


「ボクの青春のみんな、この子どもたちに注ぎこまれたとしても
ボクは後悔したくない。」



そして灰谷さんの遺言より。


「学んできた通りに生涯を終えたい。
精一杯生き、人を愛し、
また多くの人に愛されてきた人生に、
何一つ悔いはありません。
一足お先に
感謝を込めて。」



私は灰谷さんの文章を読むと、
文章を通して灰谷さんのこころに触れると、
心がぐっと熱いような痛いような気持ちになって、眼に涙がたまります。


初めて灰谷さんの本に出会った時からそうでした。
あれから何年も経った今も、
灰谷さんが亡くなった今も、
灰谷さんの文章に触れた時に感じるその気持ちは、最初のあの頃と全く変わりません。
きっとこれからもずっと変わらない。



神戸文学館を出て、私は石造りの階段を降りていきました。
階段を降りていくとき、私は自分のこころの中の階段を、
ひとつひとつ丁寧に降りていくような気持ちになりました。


階段を降り終えて、道を歩き出す。
私は私の生きるべき世界に戻っていく。



私は今日は「灰谷さんとのお別れを認識する日」になるのだと思っていました。


でも、違ったな。
「灰谷さんとこれからも共に生きていく事を認識する日」でした。


灰谷さんは、こころの中に生きている。


こころの中にいる灰谷さんを、大切にしたい。


これからもずっと一緒に、どうぞよろしく・・


そんな気持ちで、私は歩き始めたのでした。



灰谷さん、ありがとう。
あなたがくれたものを、私はこれからもずっと大切にしていきます。