It Will Be Fine!

こまきのブログです。

好きな本紹介15〜「こころの処方箋」(河合隼雄)

こころの処方箋 (新潮文庫)

こころの処方箋 (新潮文庫)

臨床心理学者河合隼雄さんが著者であるこの本は、55の章から成っています。


河合隼雄さんがこの本の中で語っているのは、
人が人生のさまざまな種類の困難に立ち向かっていくための“ヒント”です。




この本の、それぞれの章のタイトルをいくつか挙げてみましょうか。


「人の心などわかるわけがない」
「ふたつよいことさてないものよ」
「100%正しい忠告はまず役に立たない」
「イライラは見とおしのなさを示す」
「マジメも休み休み言え」
「心のなかの勝負は51対49のことが多い」
「人間理解は命がけの仕事である」
「ものごとは努力によって解決しない」
「うそは常備薬 真実は劇薬」
「強い者だけが感謝することができる」
「危機の際には生地が出てくる」
「裏切りによってしか距離が取れないときがある」


・・・などなど。
どうですか?章のタイトルだけでも「どんな事が書いてあるのかな」と
読みたくなったりしないでしょうか。



私がこの本を読んで特に印象に残った章のひとつ、
「41章 危機の際には生地が出てくる」をご紹介しますね。


この章では、ある人が「自分の欠点を直そう」と努力した経緯と、
それに対する河合隼雄さんの意見が述べられています。



ある人(Aさんとします)は、「いざとなると一歩後に退いてしまう」
自分の欠点を直そうと決意して、日常生活において自分なりに一生懸命努力しました。
いざというときに後に戻りそうな自分を、ぐんと前に押し出すように心がけました。


努力するうちにずいぶんこの「後に退いてしまう」傾向が改善され、
まわりの人からも「いざとなると積極的に行動されますね」と
言われるようにさえなってきました。


ところがある日Aさんは、自分の趣味である将棋においては、
この「いざというときには後退する」という自分の傾向が
何も変わっていない事に気がつきました。


Aさんはこれには悲観してしまいました。
自分が日常生活において今までやってきた努力が、
まったくの付焼刃であることが立証されたように感じられたからです。


しかしAさんはまだ頑張る事にしました。
将棋をするときも「いざというときに退かない」ことを信条にすることにしました。
そうすると、趣味の将棋の世界でも、だいぶ努力が報われてきたように
感じられるようになりました。


そんなときにAさんの勤務先で困難な事態が発生しました。
誰もが誰を信じていいのかわからないくらいの状態になり、
それぞれが自分の判断によって右往左往しました。


そして問題が収まって、自分もまずまず安泰と思った時に振り返ってみると、
Aさんは、いざというときは一歩退く方法を上手に使って、
困難な状態を回避してきたことがわかりました。


いざという時に一歩踏み出して失敗してしまった人もいる。
どちらの方法がよいとか正しいとか言えないが、
その人にとっての一番よい方法というのがあるようだ、
何のかのと言っても、危機には人間の生地がでる・・・と
Aさんはこの出来事によって感じたのでした。



ここから先は、Aさんのこの事例に対する河合隼雄さんの意見です。
引用して載せますね。


 危機には、人間の生地が出る、というのは間違いないようである。平素は強そうなことを言っている人が弱さをさらけ出したり、またその逆のこともある。しかし、他人のことをとやかく言う前に自分でふり返ってみて、自分の基本的傾向のようなものの在り方を知っておくのはいいことである。例にあげた人は、むしろそれを以前から知っていて、その反対のことを試みたりしていたが、それは無意味だったろうか。そうではないと私は考えている。自分の基本的傾向を変えることはできないにしろ、一応変えようとして努力してみたりすることによって、その傾向が鍛えられてきて、現実適応に対する有効性を高めるように思われる。いざというときは、思わずその傾向がでてくるにしろ、やはり鍛えられているものの方が役に立つのである。あるいは、状況によっては自分の傾向と逆のこともある程度はできて、それを楽しむことができるのである。
 自分について考えるにしろ、他人について考えるにしろ、人間というものは、基本的なところではほとんど変わらないことを知っていると、それはそれとして、相当程度にまでそれを補償したり、カバーしたりしながら、そこから豊かさや楽しさを引き出してこられるものと思われる。


(河合隼著「こころの処方箋」より)


私自身も、自分の中のある「欠点」をずっと直したいと思っていて、
ここのところそれを意識して直そうと、自分なりに努力していました。
で、努力を続けた結果、それなりにその自分の欠点が改善されてきたように感じていました。


・・・が。
「やっぱり全然直ってないじゃないか。」
と痛感するような出来事が起こりました。
これには自分が情けなくなってしまいました。
やっぱり私はダメだなあ、とも思ったし、
自分が今までやってきた努力が無意味なものだったようにも思えました。
(例文に挙げていたAさんと全く一緒ですね。)


そんな時に、上に引用した河合隼雄さんの言葉に出会いました。


「自分でふり返ってみて、自分の基本的傾向のようなものの在り方を知っておくのはいいことである。」
「自分の基本的傾向を変えることはできないにしろ、一応変えようとして努力してみたりすることによって、
その傾向が鍛えられてきて、現実適応に対する有効性を高めるように思われる。」
「いざというときは、思わずその傾向がでてくるにしろ、やはり鍛えられているものの方が役に立つ。」
「相当程度にまでそれを補償したり、カバーしたりしながら、そこから豊かさや楽しさを引き出してこられる」


そうかああ、と思いました。
私が「欠点だ」と感じているその基本的傾向は、
努力してもなかなか変わらないものであるのかもしれないんだけれど・・


でもまずはそういう自分の「基本的傾向」を自分できちんと認識している事が大事で。
そしてその自分の基本的傾向を変えようと努力し、鍛える過程の中で、
現実に適応していく上で有効に働くものが生まれる場合もあるんだなー、と思いました。
その過程の中で「豊かさ」や「楽しさ」も引き出される。。。


私は最近「自分の基本的傾向というものはなかなか直せないものだ」と
思い知って落ち込んだわけですが、でもこの河合隼雄さんの文章を読んで、
「自分が直そうと努力してきた事は無駄ではなかったし、
その過程で自分の身についているものも、わずかではあるかもしれないけれどあるはずだ。」
と思えました。


そして、無駄な努力であるかもしれないけれど、
「その自分の基本的傾向を直すための努力を続けよう、鍛え続けよう。
最終的に直せなかったとしても、そこから身につくものもあるんだし。
努力する事の中で豊かさや楽しさも生まれるんだし。」
と前向きに思えるようになりました。



・・・ここまでで相当長くなっていますね。すみません。


こんな風に河合隼雄さんは、いろんな物事に立ち向かう際のヒント・・・
「新たな視点」みたいなものを私たち読者に与えてくれるのです。
あるいは違った角度からの視点、みたいなものを。


私たちがより人生を楽しんで生きていくためのヒントを、
非常に「わかりやすい」(←ここがとても大切なポイント)言葉で伝えてくれます。


その言葉は上から投げかけられるものではなく、
常に私たちと同じ目線の高さにあり、
人や人生というものへの愛情にあふれています。


そして河合さんの目線はいつも、人の可能性や、人の未来に向けられています。


河合さんは昨年2007年8月に残念ながら他界されましたが、
私が河合さんの言葉を心の中で繰り返しながら勇気づけられているとき、
「河合さんは私の中に生きているんだな」と感じます。
まだまだ私は河合隼雄さんビギナーですので、
これから河合さんの本を少しずつ読んでいきたいと思っています。



今回ご紹介した本『こころの処方箋』のラスト、
第55章のタイトルは、


「すべての人が創造性を持っている」


です。


素敵ですよね。
なんだか心の中に光が射し込んでくるような感じがしませんか。


興味を持たれた方はぜひこの本『こころの処方箋』を読んでみてくださいね。