It Will Be Fine!

こまきのブログです。

日記を書く

数年前から日記を書いています。


こういうブログの日記じゃなくて、
日記帳に手書きで書くほうの「日記」です。


毎日書いてるわけじゃなくて、書きたくなった時にだけ書きます。
長い期間全く書かないときもあります。


ここのところこの、
日記帳に書くほうの日記をあまり書いていなかったんだけど、
最近またよく書くようになりました。
特に最近は、ネガティブな気持ちになったときに
日記帳の日記を書くことが多いです。




嫌なこと、腹が立ったこと、悲しいこと、自分の中で上手く整理できない気持ち・・・。
そういうものを、とりあえず自分なりに言葉にして書いてみます。


そうやって自分の気持ちを文章にしていく過程で、
なんとなく自分の気持ちを少し整理できたような気持ちになって
落ち着いたりします。
明確な結論が出ないにしろ。


あるいはそうやって自分が書いた文章を読み返す中で、
自分の問題点に気付いたりもします。
(例えば・・誰かに対してつよく腹を立てているようなときは、
ものすごく自分のものの考え方が「自分」主体になっていたり、
客観性がなくなっているなあ、とか。)


去年自分が書いた日記を読み返してみて、
「あー、去年の自分はこんな状況の中にいて、こんなことを考えてたんだなぁ。」
ということを思い出して、
去年の自分と今の自分を比較して、
今の自分の「立ち位置」みたいなものをつかもうとしたりとか。



最近自分の中で
「自分の問題は自分自身で解決しなくては」とか、
「自分の感情を自分でコントロールできるようにならなくては」とか、
「だから、そのためには強くならなくては」とか
そういう気持ちが非常に強くなってきました。


自分なりにいろんな過程を経て、
静かな切実な気持ちで、ひしひしとそう思うようになってきました。


ある意味とても内向的になっていると思います。
最近ひとつのものごとについて、じいっと考えこんでいるような時間も多いです。


別に暗い気持ちで思いつめてるわけじゃなくて。
自分の大切なものごとについて、一人で静かに黙々と考えつづけている、という感じです。



なんというか最近、
「人に見えないところで
こつこつと自分の心に大切なものを貯めこんでいく作業の大切さ」
みたいなものをすごく感じます。
「心にチャージする大切さ」みたいなもの・・・。


「人と何かを共有すること」を心から大切に思うと同時に、
「自分の中だけで抱えているべきもの」の大切さも思うのです。


「人と共有すべきもの」と「自分の中だけで抱えているべきもの」・・・
そういうもののラインをきちんと見極められるようになりたい、とも思います。



自分自身の気持ちを客観的に見つめるために、
あるいはそうやって整理しながら大事なものを心に貯めていくために・・・
そういうことをするための手段のひとつとして、
今自分にとって「日記」というものが大切なツールとなりつつあります。


「自分の手で、日記帳に文章を書く」というのは、
パソコンのキーボードでぱたぱたと文字を打ったりするのとは
また全然違った確かな質感があります。


「自分の手を使って、頭を使って、何か確かな作業をした」
「結論が出ようが出なかろうが、とにかく何かの“かたち”を少し残した」
という実感があります。


自分の中にあるもやもやした気持ちをいったん外に取り出して、
そして取り出したその気持ちを外側から客観的に見つめる作業をした、
という感覚もあります。


そういう作業をしたささやかな満足(自己満足?)感みたいなものも、
日記を書くと自分の気持ちが少し落ち着く理由のひとつかもしれません。



そういう感じで、最近は自分自身と向き合いながら、
日記帳に日記をがりがりと書いてます。


日記帳に自分の大切な気持ちを打ち明けたり、
怒っている自分をなだめたりすかしたり、
自分で自分を説得したり、
自分で自分を励ましたりしながら。。。