It Will Be Fine!

こまきのブログです。

変えられないもののことよりも、変えられるもののことを

最近よく心の中で繰り返す言葉があります。
それは・・・




「変えられないもののことよりも、変えられるもののことを考えよう。」
という言葉。
これは村上春樹さんの言葉です。



昨年2006年に、小説家村上春樹さんのホームページ「村上朝日堂」が
三ヶ月間の期間限定で復活した時期がありました(同年8月末にクローズ)。


このホームページでの
「フォーラム」(読者からのメールと、それに対する村上春樹さんの返信)
の中に、次のような内容がありました。


【読者からのメール】(抜粋)
 さて、村上先生に質問があります。私にはいくつか外観的、内観的コンプレックスがあります。それは、


1)髪がくせ毛(会社とかでパーマかけてんの?って言われます。いちいち説明するのが面倒です)
2)顔のつくりが薄い(しょうゆ顔?というのでしょうか)
3)極度の心配性(自信がないんですね、忘れ物なんかしょっちゅうします。)

 他の人からすると「何だそんなことか」と言われそうですが、やっぱり気になるものです。村上さんはこういったコンプレックスというのはお持ちですか?あるとすればどんなことでしょうか?また、それを解消するような方法はお持ちですか?大変不躾で申し訳ありませんが、尊敬する村上先生にお答え頂ければ嬉しく思います。



村上春樹さんからの返信】
僕はコンプレックスというようなものはとくにないみたいです。自慢できるようなところはそんなにありませんが、コンプレックスと言えるほどのものもないような気がする。というと、よく「厚かましい」と言われるんですが、でも「これくらいでちょうどいいんだ」というのが僕の口癖です。
 そりゃ、べつにとくにハンサムじゃないけど、それでも何人かの女性が僕のことをこれまでに好きになってつきあってくれたし、35年間こうして(今のところは)ぶじに結婚生活を送っているし、文句を言う筋合いなんて何もないですよね。もし僕が凄いハンサムで、女の人がどんどん寄って来たりしたら、人生はもっとややこしいものになっていたかもしれない。僕が「これくらいでちょうどいい」というのは、そういう意味です。「もうちょっと鼻が高かったらな」とか「もうちょっと足が長かったらな」とか、考えたってしかたないですよね。今のままの鼻と、今のままの足の長さで、とくに不自由無く生きているんだから。
 くせ毛で、しょうゆ顔で、内気だということですが、いいじゃないですか、それで。今さら変えられないもののことを考えたって時間の無駄です。今からでも変えられるもののことを積極的に考えようではありませんか。そういう風に納得ずくで生きていると、人は自然に寄ってきます。人が寄ってくれば、コンプレックスなんてそのうちに消えてしまいます。そういうものなのです。「これくらいでちょうどいいんだ」というのを口癖にしてください。
 それから僕のことを先生って呼ばないでくださいね。僕のまわりで僕のことを「先生」と呼ぶのは、車のセールスをしている人だけです。


皆さんは、コンプレックスってありますか?
私はありますよおお、いっぱい。


以前はそういう自分のコンプレックスの事について考え出すと、
何だかくよくよモードになってしまっていたんですけど、
この春樹さんの言葉を読んでから
なんかちょっと、自分の気持ちの持ち方が変わりました。


コンプレックスについて考え出して、くよくよモードになりそうになると、
この春樹さんの
「変えられないもののことよりも、変えられるもののことを積極的に考えよう。」
という言葉を思い出します。
すると何だか、心があったかくなって、気持ちが前向きになります。


外見のコンプレックスとか、
そういう「変えられないもの」のことについて
くよくよ考えていたって仕方ないですもんね。
それよりは、変えられるもののことを考えよう。


春樹さんは「村上朝日堂」の中で、別の読者からの質問に対して、
「自分の中の良いところ、優れたところを積極的に見つけ、
そしてその部分をのばして行こうと、努力することが大事。
まわりの人は自然にそういう資質に惹かれていく。」
とも答えてらっしゃいました。


あーもう、春樹さんのものの考え方、ほんと好きだなーー。



この「村上朝日堂」ホームページに掲載されていた
「フォーラム」の一部の内容が、単行本になって発売されています。
ご興味のある方は、ぜひ。