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こまきのブログです。

好きな本紹介9〜「少女の器」(灰谷健次郎)

少女の器 (角川文庫)

少女の器 (角川文庫)

たまには、村上春樹さん以外の作家の話もしましょうか(笑)


村上春樹さんの本に出会う前は、
私の「大好き作家ナンバーワン」は灰谷健次郎さんでした。


灰谷健次郎さんは、1934年、神戸市生まれ。
17年の教師生活を経て、1974年に「兎の眼」を発表。
灰谷健次郎さんの代表作です。)
「子どもに学ぶ」という教育哲学に裏打ちされた
あたたかく優しい小説世界は、
児童文学の枠を越えた幅広い読者の支持を受けています。


私は大学生の頃に、灰谷さんの本ばかり読んでいました。
毎回本当に熱い気持ちで読んでいて、
一冊読むごとに非常に深く感動していました。
あの頃の感覚って、今もよく覚えています。
灰谷さんの本は、私のこころの一部を作ったような気がします。
灰谷さんの本は、愛と優しさと、子どもの素晴らしさを
私にたくさん伝えてくれました。


本来ならまず先に、灰谷さんの代表作である
兎の眼」を紹介するべきなんでしょうけど、
今はは何だかこの「少女の器」を紹介したい気分なので、
今回はこの本について書きます。



「少女の器」の主人公、少女絣(かすり)は離婚家庭の一人娘で、中学三年生。
一緒に暮らしている母親峰子は男との出会いと別れを繰り返す恋多き女
別れた父親万三は版画家。(離婚後も絣と万三は交流を持っている。)
絣のボーイフレンド上野は、複雑な家庭環境の中でたくましく生きる少年。
(絣と同じく中学三年生)


この作品「少女の器」は、これらの登場人物の会話文で、
ほとんどが成り立っています。
抜き差しならない会話ゲーム・・・そんな印象の本です。
ひとつひとつの会話が、とても心に残ります。


その会話の内容が、ちょっと理屈が勝ちすぎて、
「説教臭いな」と感じる箇所もところどころありますが、
でも何度も何度も読み返した大好きな本です。


私は本を読んでいて印象に残る文章があると、
その文章の載っているページの右上端を、ちいさく折る癖があります。
私がこの「少女の器」の中で、折り目をつけているページの文章を、
いくつか抜き出してみますね。
ちょっと(かなり)長くなりますが、よろしければお付き合い下さい。



※絣と上野くんの会話


少年はちょっと口ごもって
「そら、まあいろいろあるけどよう」
と不良っぽくいった。
「上野くんはそのいろいろのうち、いくつやってきたの」
なにいわすんやと少年はいった。
「いいなさいよ」
と絣。
「誰かが、上野くんにきみ暴走族だったのときいたら、そんなこともやっとりましたなあといったでしょう。おとん行方不明で、おかん精神病院やなんて、流行歌みたいなこといって悪ぶってるんだから、それくらいのことこたえなさいよ」
「おまえな、なんか勘違いしとんとちゃうか。あんなクラスで、おれがはくつけてなんの意味あるのんや。あれはな、センコがこんど大阪から来る転校生には気をつけた方がええなんて、いわんでもええことをいいよったことに対するおれのデモンストレーションなんや。それにな、おれのいうたことはみんなほんとのことやしな。だいいち、おまえ、今、おれについて病院にいきよるとこやないか」
「ほんとのことでも、かなしいことは人の前でいわない方がいいのとちがうの」
少年はびっくりしたような顔をした。それから絣のいったことを反すうするような表情になって
「そないいうたらそやな」
とちょっと感心したようにいった。

「ほんとのことでも、かなしいことは人の前でいわない方がいい」・・・
そうだなあ、きっとそうだなあ。(反省)




※絣と上野くんの会話


「上野くんにいっときますけどね。人は独りぼっちでは生きていけないの。誰だってよ。たくさん愛されているかどうかは知らないけど、生きている限りは誰かに愛されているのよ」
「えらい楽天的なことをいよるなあ。それはおまえの考え方やろ。誰にも愛されてないと思うから生きるエネルギーが湧いてくる質の人間もおるんやで」
「違うってば・・・・・」
絣は地団駄踏むようにいった。
「人は誰かに愛されていなければ絶対生きていけないのよ。親や子、友だちどうし、いろいろな人の関係の中にいさかいが起こるのは、それぞれ、いい愛し方、いい愛され方を求めているからだと思わない。上野くん、思わない?」

「生きている限りは誰かに愛されている」って、いい言葉ですよね。
「いろいろな人の関係の中にいさかいが起こるのは、
それぞれ、いい愛し方、いい愛され方を求めているからだ」・・・
うん、そういう部分もあるかもしれないな。




※絣と上野くんの会話


「その章子さんという人ははじめ、おまえのおやじが好きやってんやろ。結婚してもらわれへんので、よその男のとこへ行ったと。そやろ」
そういう復習の仕方に絣はとまどったが、一応
「そう」
とこたえておく。
「そうしたけど、うじうじするから、よう考えたら、やっぱりおまえのおやじが好きやったというわけや。なんとかならへんかというてしっぽ巻いて帰ってくる人間にカッコええのがおるか。前と違う章子さんだったとお前いうけど、そんなん当たり前や。」
惚れた弱みというのをおまえ知らへんからなあ、と少年はいった。
「頭のええ人間ちゅうのはやっぱり冷たいワ。ドブに落ちた犬見て、あの犬汚い、汚い、いうたら犬かて立つ瀬ないワ。おまえ、なんで、おれを睨むねん」
絣は唇をかんでいる。
「そやからいうて、その章子さんとかいう人に同情したれというのんとは違うねんで。あっちはせこいことしたんやから、それ相当の生き方をして、その分埋めんとしょうがないやろけど、そういう人間を高みの見物する権利は誰にもないということを、おれはいいたいんや」
絣の目から少し涙が滲んだ。
「親とけんかするのもええけど、人を好きになって苦しんでいるのを、自分の思いにはまらんからいうて冷たくするのも、やっぱり高みの見物や」
体が小刻みに震えていた。人にそんなふうにいわれた経験は絣にははじめてだった。

これねえ、すごい事を言っていますよねえ・・・。
ちょっと怖い感じがするぐらい。
私もそういう「高みの見物」的な目線で
人を見てしまっている時があるんじゃないかと、
考えさせられてしまう上野くんの言葉です。




※絣が父万三に向かって言った言葉


「人を、あるがままに見ることができるのは知性もあるだろうけど、優しさというものもあると、絣、思うようになったんだけど・・・・・」


(灰谷健次郎著「少女の器」より)

いい言葉だな〜!


人や物事を見つめる時に、
知性や、理性や、公平さや、公正さというものはすごく大事で、
私は最近特に「公平さ」と「公正さ」をしっかりと身につけたいと
すごく思っているんですけど(なかなか身につかないけれど)、
今回この文章を読み返して、
「そうだよなあ、“優しさ”も大事だよなあ〜」と
とても心に響きました。


知性とか公平さとか公正さとか、そういう「正しさ」だけで人を見つめるのではなく、
「優しさ」も持って人を見つめる事。これってすごく大事だなあ。
「正しさ」だけで人を見つめていると、
時に人を傷つけてしまう事があるからなあ。。。
うん、なんか今の時期にこの言葉が読めて、よかったな。



・・・とまあこんな感じで、心に深く残る言葉がたくさん登場する本です。
今回は引用できなかったけど、絣の父親万三の言葉も、ほんといい味出してます。
しかしまあ、絣には憧れます。かっこいい。


灰谷さんの作品の中には素晴らしいものがいっぱいあるので、
また機会があれば、ちょこちょこご紹介して行きたいと思います。