どこまでが「自信」であり「誇り」で、
どこからが「過信」であり「奢り」なんだろう?
怖いのは・・・「過信」の状態にはまっている時、
人は自分自身のその状態に「自分で」気付くのはとても難しいらしい、ということ。
その状態になってしまうと、もう自分の姿が自分では見えないんですよね。
そういうのを今、じーーっと観察し続けています。
どこまでが「自信」であり「誇り」で、
どこからが「過信」であり「奢り」なんだろう?
怖いのは・・・「過信」の状態にはまっている時、
人は自分自身のその状態に「自分で」気付くのはとても難しいらしい、ということ。
その状態になってしまうと、もう自分の姿が自分では見えないんですよね。
そういうのを今、じーーっと観察し続けています。