- 作者: サリンジャー,村上春樹
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2014/02/28
- メディア: 文庫
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感動しました。。。
難しかったけど、でも、すごく良かったなあ。。
訳者の村上春樹さんが、この文庫についている“投げ込み特別エッセイ”でも述べているように、
「フラニー」の章と「ズーイ」の章では、全く文体が違います。
「フラニー」の章は、するする読めました。
口当たりの良い柔らかいパンを、
「美味しいなあ、食べやすいなあ、止まらないなあ!」と喜びながらぱくぱく食べていくような感じで、するする読めます。
(でもフラニーと一緒にするする病みそうな気持ちになって、ちょっと怖くもあるけど。)
ところが、「ズーイ」の章になると、そう簡単にはいかなくなる。
いきなり、ものすごい噛み応えになります。
ごりごりごり、と、「しっかり」「ゆっくり」、噛んで噛んで噛んで飲み込む事が必要になります。
もう、正直、慣れるまで私は読みにくくて読みにくくて。。
「春樹さんの言うところの『小説読み』としての力が私には足らんのだろうかー」とちょっと泣きたくなりました。。
でも、あきらめずに、口も顎もしっかり使って、
とにかく、ごりごり、もぐもぐ、と一生けんめいに咀嚼する事を続けていると、
不意に、ふっと自分の身体の中に何か「ものすごく実のあるもの」が流れ込んでくる。。。
(それはものすごく大切な価値のあるもの。。)
そういう印象だったかなあ、「ズーイ」の章は。。
(わけわからんですね。すいません。)
人間の深層心理の、非常に深くて怖い部分を、
ものすごく的確でクリアな描写で表現している箇所がいっぱいあるので、
読みながら、「ええっ、そんな部分までも書いちゃうの」とちょっとびびってしまう時がありました。
「『そこ』は、いつもいつも見つめ続けていたら、心病んじゃうよなー。。
でも、『それ』を知らずに、
人の心の中のそういう部分の存在さえにも全く一度も気づかずに、
見ずに過ぎていく人生っていうのも、浅いよなー、きっと。。。」
・・・とか何とか、読んでいてふっと思ったりしました。
確かに「宗教くさい」小説ではあるのですが、
でも、この小説で語られるところの宗教的意義や、
終盤でズーイが語る「キリスト」については、
私は、宗教的な意味合いとはまた別の・・「人にとっての大切なもの」の比喩として読んでいました。
なんか自然とそうなった。
クリスチャンでない人は、たぶんそういう読み方をすると思います。
だけど、
クリスチャンである人がこの小説を読んで感じる「大切なもの」と、
クリスチャンでない人がこの小説を読んで感じる「大切なもの」は、
たぶん、そう違わないんじゃないかな。
きっと同じだと思う。
そしてそれが、すごいところだとも思います。
この小説の、最上級の技巧を尽くされた華麗な文章には目が回りそうにもなりますが、
でもその奥底には、とても「温かなもの」が流れています。
人としての、とても優しい気持ちがある。
そこにすごく感動しました。
とても深く「じーん」と感動した。
ラストでフラニーが「そういう表情」をした気持ちはとってもよくわかるし、
ラストの場面の彼女のような気持ちで眠りについた事、私もあるなあ、と思いました。
ちょっと読み応えあってたいへんですが、
「腰を据えて、お腹にずっしりくるものを読みたい」気分のときにぜひどうぞ。
素晴らしい小説です。
時代を超えて読み継がれているもの、っていうのはやっぱりすごいなあ。
☆「フラニーとズーイ」(新潮社)サイト
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(文庫についている春樹さんの“特別エッセイ”のロングバージョンもここで読めます。)