9月2日 月曜日の「あまちゃん」の放送は、いよいよ3.11の震災が描かれるという事で、
ドキドキしていた方が多いのではないでしょうか。。
私もそのひとりです。
(※注 以下放送内容ネタばれ)
クドカンさん、どう描くのかなと思ってたけど、
配慮に配慮を重ね、抑えに抑えた表現だと思いました。
模型で表現したのは、すごいなー、と。。
ある意味では震災描写に関しては「ゆるめの」描き方だったと思うけど、
震災に関する詳細な描写や映像がなくても、
私たちひとりひとり、みんなの「記憶」に、それは自分たちが思っている以上に深く深く刻み込まれているから、
もうああやって「さわり」をちらっ、ちらっと流されるだけで、
もうじゅうぶん過ぎるぐらい、見てて心が大揺れに揺れました。
自分でもびっくりするぐらいの激震が来た。
クドカンさんは、そういうのもわかった上で、ああいう描き方にしたのかなぁ。
(だとしたら、すご過ぎですけど・・・)
2日(月)の放送も、3日(火)の放送も、最初から最後まで、ずっとぼろぼろ泣きながら見てました。
両日ともに、私をいちばん泣かせたのは大吉さんです。
トンネル内で止まった列車から出て、外の状況を確認するために、
トンネルの光の射す方向へびくびくしながら歩き始めた大吉さん。
その時に歌われた「ゴーストバスターズ」(←ここ!)
勇気いっただろうなぁ。
自分を一生懸命奮い立たせて。。
ツイッターからひろってきましたが、これが
壮絶です。。
3日(火)の放送でも大吉さんに泣かされる。
「走れるか走れないかじゃなくて、走る事が大切なんだ」(だっけ)
かっけーなあ!!!
あんた男の中の男だ!!!
第三セクターなめんなよ!
もう、この台詞とか、
みんなで列車押してるシーンとか、
列車が再び走り始めるシーンとか、
走る列車に向かって手をふる地元のみんな、とか、
そのバックで流れる「銀河鉄道999」のテーマとか(←よりによってこの曲。たまらん)。。。
夏ばっぱを列車に乗せた後、人に見られないところで「ぐしっ」と涙を拭いて、
一生懸命頑張ろうとしているところも、きたなあ。
私のつたない経験談から言いますが、
被災地を再び走り始める列車は、「本当に」人々の心を勇気づけます。
きれいごとでも比喩でもなんでもない。それは本当に人々の心を、身体を、「実際に」励ますのです。
芯から熱を送るように。あたためるように。
それは復興のシンボルです。
もう、「あまちゃん」見ながら3.11と1.17が自分の中でごっちゃ混ぜになって、
だああーーっと泣いてました。
鈴鹿ひろ美さんが言っていた「東北の人たちに申し訳なくて・・」も、
当時の私たちみんなが感じていた事じゃないかなあ。
薬師丸ひろ子さんはコミカルに演じてくれたけど、
あのひとことで、やっぱりいろんな事思い出しました。
あの頃は何をしても、被災地の方々に申し訳ないと思ってた。
明るい電気のついた部屋で過ごす事も、
美味しいご飯を食べる事も、
屋根のあるあたたかい部屋の中で守られて眠る事も、
何気ない冗談を言って、笑い合う事も。
音楽を聴く事も。
震災の事、今も常に心に置いているつもりだけれど、
時間とともに「忘れてる」事、やっぱりけっこう、いっぱいあるなぁ。。
もうひとつ、これもツイッターからひろってきたものですが、クドカンさんのブログへのリンクを貼っておきます。
ちょっと下までスクロールして、2013年「3月12日」のところを読んでくださいね。
「笑わないことが追悼ではない。だったら365日笑っちゃいけないはずだ。
むしろ亡くなった人の分も笑ったり泣いたり喜んだり悲しんだりしながら生きるのが供養なんじゃないかなと思います。」
・・・本当にそうですね。
「あの頃」はとてもそんな風に思えなかったけれど、
今は、本当にそうだなあって思えます。その通りだなって。
時間とともに、忘れてしまう事もあるけれど、
時間が過ぎたからこそ、わかる事もある。
癒える傷もある。。。
「時間」が私たちにもたらすもの。。。
「時間」とは。。
「あまちゃん」の愛すべきキャラクターたち、誰ひとり死ななくて、みんな助かって本当によかった。
9月2日の放送を見る前にいちばん怖かったのが、そこだったから。
「大好きなあの人たち、みんな死んじゃったらどうしよう」って。
(「あまちゃん」をずっと見続けてきた人たちはきっと、
あまちゃんのキャラクターたちに並々ならぬ愛着を持っていますよね。
途中から見始めた私でさえ、こうなんだもの。)
ドラマ見ながら
「ああよかった、みんな無事で。生きていれば、生きてさえいれば何とかなるよ。」って、
ドラマの登場人物たちに心の中で話しかけている自分がいたりして。
これはリアルの世界でもそのまま言えること、のはず。。
そう信じて。。
そして、ぼろぼろ泣きながら見た9月2日、3日の「あまちゃん」でしたが、
そんな中でもぽろぽろと出てくるユーモラスなシーンには、笑わせてもらいました。泣き笑い。
切れたミサンガを床にはいつくばって探すアキちゃんに、
太巻さんが「天野、おまえの家はそこか?」と言うシーンとか。
(古田さん素晴らしい。先日の「生まれたての小鹿」と同じぐらいツボ。)
「走る電車を見れば、みんなが勇気づけられると思います」と、真っ直ぐに言うストーブさんに、
吉田さんが
「お〜お〜お〜、いい事言うじゃねえか、足立ー。足立ー。」
って言う時の、あの言い方とか。
ぼろぼろ泣きながらも、笑ったよー。
ありがとうー。(感謝したくなるよー。)
どんな時も、ユーモアっていうのは本当に大切なものなんだな。
それも、「あまちゃん」が改めて教えてくれた事です。