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こまきのブログです。

追悼・青木智仁さん

komaki-13252006-06-18

2006年6月12日に、
ベーシストの青木智仁さんが永眠されました。


今回は、私なりの
青木さんへの想いを書いてみたいと思います。




6月13日、私は仕事が終わった後、
いつものように「メールきてるかな?」と携帯を開きました。


数件のメールが届いていました。
久しぶりに見る友達の名前もあります。
「何だろう?」と思ってメールを開きました。


それは、ベーシスト青木智仁さんの訃報を知らせるメールでした。


信じられませんでした。


「あの」青木智仁さんでしょう?嘘でしょう?


現実をのみこむ事が、できませんでした。


職場から家に帰る間にも、
携帯に何件も青木さんの訃報を知らせるメールが届きます。



家に帰ってPCを開きました。
梶原順さんが、ご自分のオフィシャルサイトに、
青木さんの訃報を伝える書き込みをしてらっしゃいました。


「ああ本当に、本当なんだ。」と思いました。
それでもまだやっぱり、信じられません。


やっとの思いで、梶原さんのオフィシャルサイトに
「青木さんのご冥福を、心よりお祈りいたします。」と
一行だけ、書き込みしました。


書き込みが完了した後、自分がBBSに書いたその文章を、
じっと見つめていました。


自分がそこに書いたその文章の意味さえも、信じる事ができませんでした。


「青木さんのご冥福を、心よりお祈りいたします」・・・


私は青木さんの「ご冥福を祈っている」の?
それって、どういう事?意味がわからないよ。
これって本当に本当なの?


もう完全に思考回路がストップしていました。
いま自分の前にある事実を、
なんとかリアルに感じ取ろうと努力はするものの、
考えようとすると頭が真っ白になってしまうのです。
どうしても全く現実感が持てないのです。
なのに涙が出てくるのです。
わけがわかりませんでした。


青木さんの訃報を知った時、誰もがこんな風に混乱し、
事実を受け止められずにいたのではないかと思います。




私は本田雅人さんの音楽を通じて梶原順さんに出会い、
梶原さんのファンになりました。


梶原さんとも本田さんとも、青木さんは本当に共演の機会が多かったです。


青木さんは、本当にバランス感覚に長けたプレイヤーだったと思います。
「バンド全体の音楽の構築度が上がるためには自分はどう動けばいいのか、
それぞれのプレイヤーがより輝くためには、自分はどうプレイすればいいのか」


・・・こういった事を常に考えながら、
そのバンドの中での自分の立ち位置を常に確認しながら
心を尽くして弾かれる青木さんのベース。


青木さんのベースは、「自分が目立つ為に」弾かれるベースでは
なかったように思います。
同じステージに立つ、「自分以外のプレイヤーがより輝く為に」
誠心誠意、心をこめて弾かれるベースでした。
私はそんな青木さんの姿を、いつも敬意を持って見ていました。


その謙虚で、常に周りの人に心を配り続けるベースプレイの姿勢は、
そのまま青木さんの人柄そのものであるように思えました。


私は常々
「気を遣っている事を周りの人に気づかせない気遣いこそが、本当の気遣いだ」
と思っているのですが、青木さんのベースは
まさしくそんなベースだったのではないかと思います。


青木さんのベースプレイの気遣いの中には、
「媚び」とかそういう種類のものは、一切なかったように思います。
ご自分のプレイでまわりのプレイヤーが輝き、
バンド全体の構築度が上がれば、それが本当に青木さんには嬉しかったのでしょう。
ご自分のベースの上で、各プレイヤーが素晴らしいソロを取った時の、
あの青木さんの嬉しそうな表情の中にも、それは表れていたと思います。
そういう青木さんの姿を見ていて、
青木さんの「音楽に対する愛」みたいなものを、私はすごく感じていました。


いつも「バンド全体を輝かせる為に」プレイしていた青木さん。
そうやって「まわりの為に」誠心誠意プレイする結果、
青木さんご自身も、しっかりと輝いていたような気がします。
青木さんを見ていて「ああ、ああいう種類の輝き方もあるんだ」と
私は思ったものでした。



そして、青木さんのもうひとつの魅力。
それは、裏方役から主役顔のソロシーンへ「ばんっ!」と移り変わる時の、
あの強烈なインパクトです。


青木さんは、いざ主役顔のソロシーンでは、
本当に一瞬でその場の空気を全部かっさらって、
全ての空間を青木さんのものにしてしまいました。


青木さんは、自分のソロの時には、
観客の目を自分以外のプレイヤーの誰にも向けさせないような、
そんなソロを弾きました。


私がいちばん強烈に覚えているのは、
2002年9月に守口エナジーボールで見たライブ『東原力哉スーパーエレキナイト』
(※出演/「東原力哉エレクトリックバンド」
川嶋哲郎(sax)青柳誠(p)梶原順(G)青木智仁(B)東原力哉(Ds))


での、青木さんの「SPLATCH」のソロです。
あれは本当にかっこ良かったです。
あの青木さんのソロの瞬間、ホールの空間が全部青木さんのものになって、
青木さんの音でぱんぱんになりました。
本当に凄かったです。怖いぐらいでした。
聴いててぞくぞくうっ、としたし鳥肌が立ちました。
会場中も「うおお〜!」って感じで、熱狂で。
あれは本当に、凄かったな。。。


青木さんのソロが炸裂している時、ちらっと梶原さんの方を見てみたら、
梶原さんの最高の笑顔が炸裂していました。
「青木さん、すっごいなぁ!!」って感じの本当に嬉しそうな笑顔。


あの時の青木さんのものすごいソロと、梶原さんの会心の笑顔は、
ワンセットになって私の心の中に残り続けています。


最初にも書いたように、
青木さんと梶原さんは本当に共演の機会が多かったです。
青木さんと梶原さんの、
絶妙のコンビネーションももう聴く事ができません。
おふたりがステージ上で微笑み合う姿も、もう見る事ができません。
すごく悲しいです。


梶原さんと青木さんが共演するセッションも、
本田バンドでの青木さんのベースも、
増・青・本もFOUR of a KINDも、その他の様々な種類のライブも、
もう見る事ができなくなってしまいました。
ずっと心の中であたため続けてきた
「いつかSOURCEのライブを生で見てみたい」という夢も、
もう叶わなくなってしまいました。



「ベースってこんなに重要な役割の楽器なんだ、
こんなにかっこいい楽器なんだ」という
ベースの魅力を私に教えてくれたのは青木さんでした。
(多くの方が、ネット上で同じ意見を書いてらっしゃいますね。)


青木さんのおかげで、私はベースの魅力を、
ベースを聴く楽しみを、知る事ができたのです。
最近ライブでも、それぞれのベースプレイヤーの
個性を感じ取ったりする事が、とても楽しくなってきたところでした。


なのに、ベーシストの中でいちばん好きなプレイヤーであり、
私にいちばんベースという楽器の魅力を
リアルに感じさせてくれた青木さんという人が、
いなくなってしまったのです。



青木さんが亡くなった事を知ってからというもの、
私は青木さん関連のものだけでなく、
音楽自体を聴く事ができなくなってしまいました。


何度か、聴こうとはしてみたんです。
でも聴いていると、何だか心が真っ暗になってしまうのです。
かすかないら立ちみたいなものも、自分の心の中に感じるのです。


この感情は何なんだろう、と考えました。


うまく言えないのですが、おそらく私は
「音楽の神様」みたいなものに対して、
無意識のうちに腹を立てていたのだと思います。


「あんな素敵な姿勢でベースを弾いていた人が、
いなくなってしまったじゃないか。
こんなに突然に。なんの予告もなく、ものすごく理不尽な形で。
あまりにも早過ぎる形で。
こんなのってちょっとひど過ぎるんじゃないか。
そんなに簡単に連れて行かないでよ。
なにが音楽だよ・・・」と。


あんなに大好きで、いつも感謝していた音楽に対して、
私は怒りを感じていたのです。
あんなふうに音楽に対して心を尽くしていた人青木さんが、
こんな形で連れて行かれる事への理不尽さに、
どうしても納得できなかったのです。
「こんなのってあるかよ」と。



6月15日は青木さんのお葬式の日でした。
だから、青木さんの事を想いながら青木さんの音を聴こう、と思って
FOUR of a KINDのアルバムを通勤時に電車の中で聴こうとしたのですが、
あのベースプレイを聴いていると涙があふれて来るのでダメでした。
頑張って一曲だけ、聴きました。


音楽そのものが聴けなくなり、
私の部屋のタイムドメインミニのスピーカーは、
ここ数日、じっと黙っていました。


だけど16日に、友人がブログで青木智仁さんに関する記事で
SOURCEの事を書いていたのを読んで。
「SOURCEを聴きたいな」という気持ちが、自然と自分の中に起こりました。


翌日、SOURCEのアルバムを聴く事から、再び私は音楽を聴く事を始めました。
少しずつ、私の中に音楽が戻って来ました。
少しずつ、少しずつ。。



以前何かの本で、
「生と死は別々のものではない。生の中に死は、含まれている。」
という文章を読みました。
いまその事の意味を、じっと考え続けています。
私たちはおそらく生の中に、死を抱えながら生きているのでしょう。



小説家の村上春樹さんが、
「私たちが死者に対してできる唯一の事は、
死んだその人の事をずっと覚えておく事だ」
と言っていました。


私は大村憲司さんに対しても、この気持ちをずっと持つようにして来ました。
その他の、亡くなってしまった自分の愛する人に対しても。
まさか青木さんに対しても、この気持ちを使う事になるなんて。。


「死んだその人の事をずっと覚えておく」・・・
言葉にすると簡単ですが、そこに込められている意味合いは、深いです。


私たちは死んだその人の事を覚え続け、その人への想いをあたため続ける事で、
死者の心をあたため、そして自分自身の心をあたためる事ができます。


覚え続けること、記憶し続けることで、
死んでしまったその大切な人と自分が、
「いまも繋がっている」という実感を持つ事ができます。
「繋がっている」というのは、かけがえのない感覚です。
きっと、お互いにとって。



私たちが「こっち側」にいて、
青木さんが「あっち側」にいってしまったというその事実を
今も受け止められず、やはり信じられない私です。
でも私は、時間とともにこの事実を受け入れていかなければなりません。


青木さんが「いなくなった」のを本当に実感するのは、
これから先の事になるのでしょう。
ライブに行って、そこにいるべき青木さんの姿がないのを見る時に、
実感する事になるのでしょう。




青木さんへ。
青木さんへの気持ちを整理しきれない事を含め、
他にも様々な事で悪戦苦闘しながらこの世界で生きてゆく私たちを、
憲司さんと同じその場所から、静かな優しいまなざしで見守っていて下さい。


青木さんのベースは、なくてはらないベースだったと思います。


今までたくさんの素晴らしい演奏を、感動を本当にありがとうございました。


私は青木さんのことを、いつまでもずっとずっと、覚えていたいと思います。


心に体に、とてもリアルに響くあのベースの感触も。
少し照れてはにかんだような、あの素敵な笑顔も。